人間はそんなに強くない。隠蔽というのは「厳しすぎる罰」からはじまるんだよ。

いじめ放置した教員は懲戒処分になるそうですね。

 いじめを放置した教職員を懲戒処分の対象とすると明記した議員立法「いじめ防止対策推進法改正案」が、28日召集の通常国会に提出される。与野党の賛成多数で可決、成立する見通しだ。

いじめを放置した教職員を懲戒処分の対象とすると明記した議員立法「いじめ防止対策推進法改正案」が、28日召集の通常国会に提出される。与野党の賛成多数で可決、成立する見通しだ。

この法律を作った人は教育現場を全くわかっていない無知だけでなく、人間の性質というものが全くわかっていないですね。

おそらく、優秀な官僚が作ったものだと思いますが、頭が良い故の過ちというか大衆心理を全くわかっていないというか、でも、国を運営する立場だったらもう少し大衆心理を勉強してほしいところです。

というか、厳しい規則を設ければみんな言うことを聞くだろうという点がなんとも浅はかですね。

まあ、会社でもいます。人間は規則通りに動くと思っている人が一定数います。そういう人に限って高学歴という点も厄介なところですが…。(ちなみにその人は車の運転も法定規則をきっちり守るタイプ。もちろんやっていることは正しいんだけどね。)

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規則が厳しすぎると隠蔽体質に変貌する

かつて僕が勤めている会社では顧客からクレームがあると非常に厳しく追求されていました。

そりゃ厳しく追求されることは良いことなのですが、まるで犯罪者扱いのように不必要な厳しさがあって、みんながみんな恐怖していたのです。

昔からそこまで厳しかったというわけではないのですが、とある会社幹部の音頭でテコ入れを入れたかのように厳格化されました。

で、そんな厳しい環境下になって、じゃあ製品品質は良くなったのか、というと必ずしもそうではありません。むしろ逆方向に向かっていってしまったんじゃないでしょうかね。

まず、顧客から連絡のあった際に、末端社員の間では「これはクレームかクレームじゃないか」という不毛な議論が始まります。こえはクレームではなく「ご意見」とか「ご提案」とか、そんな言葉に言い換えることで「これはクレームではない」と結論付けるのです。それも社内の非公式の中で。

なんたって、クレームとなると幹部への説明とともに厳しい追求の場に追いやられるだけでなく、目の前のすべての仕事を止めてでもその対応に追われます。その製品担当者の心理的負担は筆舌に尽くしがたいものです。

結果、顧客への説明のための工数が2くらいだとしたら、社内への説明に要する手間暇は8くらいの割合を要するようになります。顧客への説明:社内への説明=2:8です。こんなアホらしいことはありません。

だから、クレームか、クレームじゃないか、は従業員にとって超重要なのです。

正直、企業ぐるみの隠蔽体質一歩手前だったと思います。今振り返って思うと、こうやって隠蔽体質は作られるんだなって思いました。

幸いにも今は紆余曲折あって正常化されています。

もちろん今でも社内への説明は実施されますが、至って冷静な議論になっているし担当者個人への厳しい追求もなくなりました。これによってクレーム発生から対策までスムーズなフローになっています。クレームかそうじゃないかなんて気にする人は誰もいなくなりました。

必ずしも厳しい規則が正しいわけではない、という点を僕自身身を持って経験しています。

イジメかイジメじゃないか、そんな議論が教育現場ではじまる

前出の法律で最も気になったのがこの部分

いじめを放置した教職員を懲戒処分の対象とすると明記した…

これはいじめという事象を担当する教職員本人に全責任を負わす、と明言しているものです。

この規則はとても危険です。どれだけ危険かは前述の経験談の通りです。

たぶん、この法律を作った官僚は、いじめ問題を自分とは責任範囲外の誰かが「やらかしている」ものだと思っているのでしょう。だから、相手に罰を与えるしか思いつかないんですね。

今でも学校側はいじめを認めたがらないと聞きます。

これからは今まで以上に認められにくくなります。なんたって担当している教職員の懲戒処分になるんですから、本人としては「いじめかいじめじゃないか」が死活問題になります。

よく、教職員は聖職者だからって倫理観を押し付けがちですが所詮人間です。企業で不祥事を隠蔽するサラリーマンとなんらかわりのない同じ人間ですね。

組織に「隠蔽の仕掛け」があれば隠蔽します。で、その「仕掛け」が今回設置されてしまいました。残念ですが…。

結局のところ、官僚は「監督する」という意識が強すぎて、一緒に解決していこうという意識がないんでしょうね。

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