発達障害の子を特別支援学級に進めるのは果たして正しいのか誤っているのかなかなか悩ましい

Twitterで少し議論になったのでブログにも書き留めておきます。元はこの僕のツイートから。

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ホントの元々はとあるツイートで「うちの子が発達障害→入園拒否→園の理事長が議員選挙立候補→ポスターに子供の未来を謳っていた→子供の未来とは定型児だけなのか?」という意見があったのを見て僕自身がツイートしたものでした。

一見して可燃性の高いものだなと思ってあえてリツイートはしなかったのですが、今見たらやはりバズっていましたね。

親として気持ちが痛いほどわかることもあり、直批判と捉えられないようあえてリツイートを避けて意見を書いたのですが。

一方で、僕の子が保育園に通っていた時に園での役員の仕事を通して保育士側の苦労もわかっていたので手放しで賛成とはなかなか言えない点が苦しいところです。

でもやっぱり親の気持ちもよくわかり、こんなツイートもしたところ…

「特別支援学校に通わせたくないのは親のエゴ→子供のことを思えば結果的に幸せではない。」というリプをもらいました。

よくわかります。よくわかるのですが、僕自身、子供がいないときは同じような意見を信じて疑わなかったのですが、自分の子供ができて且つ社会に出て障害者の就職状況を見るにつけそう簡単なものじゃないってことがわかってきたんです。

まず、親として子供が障害を持っても普通学級に入れたいという気持ちはいかんともしがたいほど大きいものです。それがエゴと言われても自分の子供が世間から区別されることへの拒否感は子供を持たない人たちからしたら想像できないでしょう。

特別支援学級は差別じゃなく区別だってツイートも見ましたが、その「区別」と言うやつになんとも言えない拒否感があるのです。自分が区別されることは耐えられますが自分の子供が区別されるのはとても耐えられません。

次に、その区別が果たして子供のためになっているのか?という疑問が社会に出てから特にそう思うようになりました。

学校に行っているうちは専門教育を受けているという点からもまだ良いとして、成人になっていざ就職という段階で手詰まりになります。障害者の受け入れに企業は消極的だからです。

言葉は悪いですが特別支援学級に通ったことでラベリングされてしまうような感じです。

僕がツイートをしたとおり、うちの会社に特別支援学級から高校生の実習生がたまに来るのですが、健常者とあまり変わりません。しかし彼/彼女たちは「支援学級に通っている」というラベルが付いてしまっているがために就職はままならないのです。

もちろん、健常者と遜色ない現状に「支援学級で適切な教育を受けた成果だ」という意見ももらいました。その通りかもしれません。

しかし、特別な教育で社会性を身に着けたとしても、その先が真っ暗闇というのもまた事実で、そこに親として自分の子を入れることへの拒否感の大きな原因の1つです。

できれば、障害者も健常者も同じ学校(もちろん幼稚園や保育園も)に入れて、障害者への支援として専門の先生が介助するという形が理想だなって思うわけです。

障害者と健常者ははっきりと区別できるのではなくグラデーション上でつながっていると言われていますが、そうであれば尚更その形が理想なのかなって思いました。

かつてはそうは思わなかったけど、子供のためと思って付けた「区別」こそ大人たちのエゴではないかな。

現場を無視して無理に普通学級に行かせようとする親をエゴと呼ぶのは否定はしないけど、それを引き離して区別する大人もまたエゴではないかと、いま時点ではそう思っています。

ところで、保育士の学校ではインクルーシブ教育という障がい児支援に関するカリキュラムがあるというリプももらいました。(学校教師の教養課程ではどうなんだろう?)

徐々にそういう社会になってほしいなって思います。

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すまたすログ

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